「使いやすい」とは何か
「使いやすい」とは何か
この記事は今後解説する「使いやすいソフト」について話す前に、そもそも「使いやすい」とは何かを定義する意味合いで書き始めています。
多くの場合に、使いやすさとは 「自分にとって都合がいいこと」 を指しています。
たとえばですが、
- 操作の結果が予測できる
- やりたいことに迷わず到達できる
- 考える量が少なく済む
こうした要素が揃うと、人は直感的に「使いやすい」と感じるでしょう。
思考コストという観点
このときに鍵になるのが 「思考コスト」 です。
操作や理解のために必要な思考の負担が小さいほど、使いやすいという評価になりやすく、特に初見の印象(ファーストインプレッション)をもって思考コストの大小で使いやすさを判断しがちです。
ただし、思考コストが低い=本質的に使いやすい、ではない
思考コストが低いことが、そのまま「本質的に使いやすい」を意味するわけではありません。
なぜなら、思考コストの低さには 二つの理由 があり得るからです。
- 設計が良く、自然に理解できる場合
- 自分がすでに慣れている前提に沿っていて、考えなくても扱える場合
この違いを見落とすと、「使いやすい/使いにくい」の評価は簡単に歪んでしまいます。
例:ハンマーの話(慣れが評価を歪める)
例としてハンマーを考えてみましょう。
ハンマーの評価軸はシンプルで、基本的には次の2つの機能に集約できます。
- 握りやすいか
- 釘が打ちやすいか
細かな話をすると、この機能の手触りを良くするためには重量バランスや柄の形状や材質といった要素があります。
ところが、いつも使っていたハンマーの持ち方が身体に染みついていると、新しいハンマーに持ち替えたとき、単純な握り位置といったことが少し違うだけで「持ちにくい」と感じてしまいます。
しかしその違和感は、本質的な使いにくさではなく 「慣れの差」 かもしれません。
「慣れている=使いやすい」という錯覚
ここが重要で、私たちはしばしば 「慣れている=使いやすい」 と錯覚しています。
いったん慣れてしまうと、その道具が本当に合理的かどうかを客観的に評価するのは一気に難しくなります。
つまり、使いやすさの判断には常に
- 慣れ
- 先入観
- 感情
- 経験の偏り
といった要素が混ざって入り込む、ということです。
どうすれば中立に評価できるか:たくさん触る
では、どうすればより中立に評価できるのか。答えは単純で 「たくさん触ること」 です。
触る種類が2つしかないと、人はどうしても
- 前に使っていたもの
- 今のもの
を比べてしまい、後者が不利になります。
ところが、10種類・20種類と経験が増えると、評価はAとBの単純比較ではなくなります。
- この状況ならこれが強い
- この条件では弱い
というふうに 状況依存で差分を切り分けられる ようになります。 結果として、 「なんとなく好き/なんとなく嫌い」 といった大味な判断が減り、設計の意図や構造に基づいた評価ができるようになります。
結論:着眼点を言語化する
「使いやすさ」を語ることが難しいのは、混ざり物が常に入り込むからです。
だからこそ、使いやすさを評価するときは
自分は何を根拠に「使いやすい」と言っているのか
を一度言語化してみるのが有効です。
- 思考コストが低いからなのか
- 慣れているからなのか
- 設計の意図を理解できているからなのか
ここを分けて考えられるようになると、使いやすさの議論は一段とクリアになります。